和州遠山流とは

当流は210年前、奈良県大和郡山城主 柳澤堯山侯より、「三冬庵」の庵号とそれを証する掛軸を賜り、奈良(和州)発祥という意味で「和州遠山流盆石」と改名して伝承しました。その後、初世家元 森村宥亮(1847-1919)により、教本編纂など流の基礎固めが精力的に行われ、大宮人のたしなみであった盆石を、庶民が楽しめる形にして行きました。以降、その意思を脈々と継いで研鑽を重ね、今日に至っております。

 

当流では明治時代より様々な研究を重ねて編み出した止砂の技法を掛額作品として確立し、今日では屏風等大きな壁面作品も盆石の一つとして扱っております。置盆の上に表現した消えゆく、無となる盆石。止砂による恒久性のある遺す盆石。いづれも人の想いを石と砂のみで表わす為に形作られて来ました。羽根によって撒かれる白砂の描く濃淡は心の余韻をも表現し、その叙情的な写実表現も当流の大きな特徴となっています。縮景芸術である盆石を、心象風景の描出として受け継ぎ、自己表現としての盆石を追及しています。

和州遠山流 五世家元

三冬庵 森村 茜石

和州遠山流 初世家元

森村 宥亮  (1847-1919)

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